ブログ
何もしていない罪悪感
何もしていない時間が、苦しい。
本当に何もしていないわけじゃない。
頭の中では、ずっと動いている。
やらなきゃいけないことを考えて、
どうすればいいかを考えて、
気づけば、時間だけが過ぎていく。
それでも、現実には何も残っていない。
机の上も、そのまま。
やるはずだったことも、そのまま。
ただ、時間だけが減っていく。
その感覚が、重い。
何もしていない自分。
何も進んでいない一日。
それが、ゆっくりと心を削っていく。
——今日も、できなかった。
その一言が、頭に浮かぶ。
誰に言われたわけでもないのに、
自分で自分に言い続ける。
それが、いちばんきつい。
発達障害を抱えていると、
「動けない時間」が生まれる。
でも社会は、その時間を許してくれない。
動いている人が評価されて、
結果を出した人が認められる。
それは当たり前のことだと思う。
だからこそ、
何もしていない自分が、余計に苦しくなる。
休んでいるつもりでも、休めていない。
罪悪感が、ずっと残るから。
体は止まっているのに、
心だけがずっと動いている。
その状態が、続く。
本当は、少し休みたい。
何も考えずに、ただぼーっとしたい。
でも、それを許せない自分がいる。
「このままでいいのか」
「また何もできなかったらどうする」
そんな言葉が、ずっと頭に残る。
だから、休むことすら疲れる。
それでも、ある日思った。
何もしていない時間にも、
意味があるんじゃないかと。
止まっているように見えても、
頭の中では、何かが積み重なっている。
考えていること。
迷っていること。
動けない理由。
それらも、全部自分の一部だ。
無駄ではない。
そう思えるようになったとき、
少しだけ、罪悪感が軽くなった。
完全には消えない。
今でも、何もできなかった日はある。
それでも、前よりは、
自分を責めすぎなくなった。
何もしていないように見える一日も、
確かに、自分はそこにいた。
それだけで、いいとまでは言えない。
でも、それを否定し続ける必要もないと思った。
だから今日も、
何もできなかったとしても、
それをすぐに否定しないようにしている。
その上で、
ほんの少しだけでも動けたなら、
それはきっと、
自分にとっての一歩だと思っている。
動けない理由を説明できない苦しさ
「なんでできないの?」
そう聞かれたとき、
答えられなかった。
できない理由は、確かにある。
でも、それを言葉にすることができない。
頭の中は、いつも混乱している。
やらなきゃいけないこと。
やりたいこと。
やらなかったときの不安。
いろんなものが同時に浮かんで、
どれから手をつけていいのか分からなくなる。
そのまま、止まる。
でも外から見れば、
ただ「何もしていない人」に見える。
サボっているように見える。
やる気がないように見える。
違う、と言いたい。
でも、何が違うのか、うまく説明できない。
説明しようとすると、
言葉がうまく出てこない。
頭の中では分かっているのに、
口に出した瞬間に、崩れてしまう。
「うまく言えないけど…」
その一言で、終わってしまう。
そして結局、
理解されないまま終わる。
何度か、説明しようとしたことがある。
自分なりに、一生懸命考えて、
なんとか言葉にしようとした。
でも、途中で分からなくなった。
自分でも、何を言っているのか分からなくなった。
それを見て、相手は困った顔をする。
その空気が、苦しかった。
だから、だんだん話さなくなった。
どうせ伝わらない。
どうせ分かってもらえない。
そう思うようになった。
発達障害を抱えていると、
「説明できない苦しさ」を抱えることがある。
できないことよりも、
それを説明できないことの方が、つらいときもある。
理解されないことは、慣れていく。
でも、
伝えようとして、伝わらなかった記憶は残る。
それが少しずつ積み重なって、
言葉を失っていく。
だから最近は、無理に説明しようとしない。
全部を分かってもらおうとしない。
その代わりに、
自分の中で分かっていればいいと思うようにした。
動けなかった理由も、
うまくできなかった理由も、
誰かに説明できなくても、
自分が知っていればいい。
それだけで、少し楽になる。
そして今日も、
うまく説明できないまま、一日が終わる。
それでも、
少しだけでも前に進めたなら、
言葉にできなくても、
それは確かに、自分の一歩だと思っている。
この流れ、かなり“深い読者”に刺さっていきます。
「やればいい」ができない
「やればいいだけだよ」
何度も言われてきた言葉だ。
確かに、その通りだと思う。
やればいい。
それだけのことだ。
やれば終わるし、
やれば進むし、
やれば評価もされる。
全部、分かっている。
でも、その「やる」が、遠い。
手を伸ばせば届くはずなのに、
なぜか、その距離だけが埋まらない。
頭の中では、ずっと動いている。
これをやらないといけない。
早くやらないといけない。
このままだとダメだ。
そんな言葉が、ずっと流れ続けている。
それなのに、体は止まったまま。
動こうとすると、
急に重くなる。
何か見えないものに、
押さえつけられているような感覚。
そしてまた、時間だけが過ぎていく。
何もできなかった時間。
それが、少しずつ積み重なっていく。
気づけば、
一日が終わっている。
「今日もできなかった」
その一言が、
静かに心に残る。
誰かに怒られたわけでもない。
何かを失ったわけでもない。
それでも、
自分の中で、自分の評価が下がっていく。
——なんでできないんだろう。
何度も考えた。
気合いが足りないのか。
甘えているだけなのか。
努力が足りないのか。
どれも違う気がして、
どれも当たっている気もした。
ただひとつ言えるのは、
「やりたいのに、できない」ということ。
それが、いちばん苦しい。
やりたくないなら、まだ楽だった。
でも、やりたい。
やらなければいけないとも思っている。
それなのに、できない。
この矛盾が、
自分の中でずっと続いている。
だから、考え方を変えることにした。
「やればいい」を、やめる。
その代わりに、
「触れるだけでいい」にする。
動画なら、編集しなくてもいい。
タイトルも考えなくていい。
ただ、アプリを開くだけ。
机の上なら、片付けなくてもいい。
ただ、ひとつ物を動かすだけ。
それだけなら、
できる日がある。
ほんの少しだけでも、
動けた日になる。
「やった」とは言えないかもしれない。
でも、「止まったまま」ではなかった。
それだけで、十分だと思うようにした。
「やればいい」ができない日もある。
それでも、
「触れる」ことはできるかもしれない。
その違いが、
自分にとっては、とても大きかった。
だから今日も、
やるかどうかは考えない。
ただ、少しだけ触れてみる。
それが、
自分なりの一歩だと思っている。
小さな一歩は、なぜこんなにも重いのか
一歩が、出ない日がある。
やるべきことは分かっている。
頭の中では、何度もシミュレーションしている。
これをやって、次はこれをやって、
そのあとに、これをやる。
順番も、やり方も、ちゃんと分かっている。
それなのに——
体が、動かない。
まるで、自分の中にブレーキがかかっているみたいに、
何も始められない。
周りから見れば、きっと簡単なことだと思う。
「やればいいだけ」
そう言われても仕方がないことだと思う。
でも、その「やる」が、できない。
発達障害を抱えていると、
こういう瞬間が、何度も訪れる。
怠けているわけじゃない。
やる気がないわけでもない。
むしろ、やらなければいけないと、
ずっと考え続けている。
だからこそ、動けない自分に、
強い罪悪感が残る。
またできなかった。
また今日も何も進まなかった。
そんな言葉が、頭の中を何度も巡る。
気づけば、
「できない自分」を責めることだけが上手くなっていた。
——どうすれば、動けるのか。
ずっと、その答えを探していた。
ある日、ふと思った。
大きなことをやろうとしているから、
動けなくなるんじゃないかと。
最初から完璧を目指す。
最初から「普通」をやろうとする。
それが、余計に自分を苦しめていたのかもしれない。
だったら——
もっと、小さくていい。
本当に、どうでもいいくらい小さなことでいい。
机の上を、少しだけ触る。
スマホを開いて、メモを一行だけ書く。
動画のアイデアを、ひとつだけ考える。
それだけでもいい。
「やった」と言えるほどじゃなくてもいい。
ほんの少しでも、動いたなら、
それは確かに、一歩だ。
誰かと比べる必要はない。
昨日の自分と比べればいい。
昨日より、ほんの少しだけ前に進めたなら、
それでいい。
小さな一歩。
それは、前に進むためのものじゃないのかもしれない。
止まってしまいそうな自分を、
なんとか繋ぎ止めるための行為。
それでも——
その一歩がなければ、
自分は、どこにも進めなかった。
だから今日も、
ほんの少しだけでいいから、動いてみる。
それが、
自分にできる精一杯の生き方だと思っている。

