星咲紗和の日常

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紗和の日記

18 Nov 2024

「不登校」じゃなくて、もっと前向きな呼び方を

最近、「不登校」という言葉について考えることがある。この言葉、どこかネガティブな響きがないだろうか。「学校に行かない=良くないこと」という印象を与えてしまう気がしてならない。だけど、実際には学校に行かない選択がその子にとって必要な場合もあるし、それがベストな環境であることだってある。


たとえば「在宅学習」や「自分スタイルの学び」といった言い方に変えたらどうだろう?同じ状況でも、もっと前向きで、柔軟な選択肢として受け入れられるのではないかと思う。言葉の持つイメージは大きい。ネガティブな言葉が周りの目を気にする要因になり、本人や家族に無駄な負担をかけてしまうこともある。


学校は確かに多くの人にとっての学びの場だけど、それが全てではない。家で学ぶこと、オンラインで学ぶこと、地域の活動や自分のペースで取り組む学びも立派な選択肢だと思う。だから、「不登校」という言葉を使わずに、その子のやり方に合った学び方を尊重する社会になってほしい。


無理に学校に行くことが正解だとは限らない。むしろ、無理を強要することで心や体を壊してしまうのなら、その選択肢はむしろ間違いになるだろう。大切なのは、「どう学ぶか」ではなく、「その人にとって学びが意味あるものになっているか」だ。


言葉を変えることで、少しでもポジティブな選択肢として受け入れられるようになるといいなと思う。学校に行かないという選択肢も、一つの尊重される道として認められる社会を目指したい。


18 Nov 2024

正解も、答えも、一つもない

日々を過ごしていると、「これで良いのかな?」と思う瞬間が何度もある。仕事の選択、人間関係、自分の生き方。そのたびに、どこかに「正解」があるんじゃないかと探してしまう。でも最近、ふと思う。「正解なんて、そもそもあるのだろうか?」と。


学校のテストなら、正解がある。数学の問題なら、一つの答えにたどり着ける。でも、現実の世界はどうだろう。正解はおろか、明確な答えすらないことがほとんどだ。どの選択肢を選んでも、何かを得る代わりに、何かを失う。結局、正解は後から自分で作るしかないのかもしれない。


たとえば、好きなことをやるのか、安定を取るのか。どちらが「正解」なんて誰にも言えない。それどころか、自分にとっての正解も、時が経てば変わる。だから、「これが正しい」と信じ込むのではなく、その時々で「これでいい」と思える選択をするしかないのだ。


答えがないことは、時に不安を呼ぶ。でも、同時に自由でもある。何を選んでもいいし、自分の道を自分で切り開いていい。誰かが決めた正解ではなく、自分が納得できる「これでいい」を積み重ねていく。それが人生なのだろう。


正解も答えもないからこそ、迷うことも多いけれど、その迷いもまた、私たちを成長させてくれる。だからこそ、悩むことを恐れず、自分らしい道を歩んでいきたい。


18 Nov 2024

山盛りご飯の主張が強すぎる

今日は食堂で定食を頼んだんだけど、出てきた瞬間に目を疑った。おかずよりも明らかに目立つ、山盛りのご飯。茶碗の縁を余裕で超えていて、蓋なんて到底閉まらない。「これ、もはやご飯が主役じゃない?」と思わず突っ込みたくなるレベル。


おかずは定番の焼き魚と漬物、そして味噌汁。もちろん美味しい。でも、正直その美味しさを感じる余裕がなかった。だって、目の前にそびえ立つ白いご飯の圧迫感がすごいんだもの。


一口目は美味しい。二口目も美味しい。でも三口目あたりから「これ、終わるのかな…」という不安がちらつき始める。おかずとご飯の配分を考えながら進めても、どうしてもご飯が余る。おかずがなくなった時点で残ったご飯の量を見て絶望。「これ、本当に1人分ですか?」と尋ねたくなるほどだった。


結局、何とか完食したけれど、食べ終わった後の満腹感が尋常じゃない。おかずが美味しかった記憶よりも、ご飯との戦いの記憶が濃く残る結果に。こんなに主張が強いご飯、初めてだった。


次回は「ご飯少なめで」と注文しよう…いや、むしろ「蓋が閉まる量」でお願いしたい。山盛りご飯も良い経験だったけど、適度な量って本当に大事だと痛感した一日だった。


18 Nov 2024

朝早い予定、そしてA型事業所へのハードル

朝が苦手な自分にとって、朝早い予定というのは最大の敵だ。たとえどんなに重要な予定であっても、朝早いと聞いただけで「うわぁ…」と気持ちが萎えてしまう。特に、毎日同じ時間に出勤しなければならないA型事業所のような環境となると、そこが一番のハードルになっている。


A型事業所はサポートが手厚く、自分のような人にとっても働きやすい場だと聞く。だけど、どうしても朝のハードルが越えられない。起きる時間に合わせて生活リズムを整えようとしても、どうしても身体がついてこないことが多い。


ただ、そんな自分を責めたくはない。みんな得意不得意があるように、自分にとっては「朝」が苦手なだけ。もしA型事業所のような選択肢が増えても、自分に合う柔軟なスタイルが見つかるのなら、それが一番だと思っている。


今は、就労継続支援B型事業所に通っているけれど、無理をせず自分のペースで働ける環境に感謝している。このペースを維持しながら、もし機会があれば、自分に合ったA型事業所の働き方が見つかればいいなとも思う。


朝早い予定が苦手でも、自分に合うやり方で挑戦していきたい。きっと、それも一つの可能性を広げる方法だから。


17 Nov 2024

硬派なミステリーに挑む

最近、急に「硬派なミステリーを描いてみたい!」という気持ちが湧いてきた。謎が絡みに絡んで、読者を最後まで引っ張るような、そんな作品を作りたいという衝動が押さえきれなくなり、気づけば執筆を始めていた。


ミステリーは奥が深いジャンルだ。複雑な伏線を張り巡らせ、すべてが一つの真実に収束する快感。その過程で登場人物たちの葛藤や人間模様を描くのも、ミステリーの醍醐味だと思う。とはいえ、実際に描くとなると、簡単ではない。どうやって謎を配置するのか、どのタイミングでどんな情報を与えるのか…頭をひねることばかり。


でも、今回はなぜか、最初の数ページを描き始めただけで「これ、なかなかいい感じになるかも」と思える手応えがあった。登場人物たちが自然と動き出し、物語の中で生きている感覚がある。ミステリーを書くのは挑戦だと思っていたけど、もしかするとこれが自分の中に新しい可能性を見つけるきっかけになるのかもしれない。


もちろん、これから先に待ち受けているのは試行錯誤の連続だろう。でも、その過程自体が面白いし、完成したときにはきっと大きな達成感があるはずだ。読者が「やられた!」と思わず声を上げるようなラストを目指して、引き続き頑張っていきたい。


硬派なミステリー、一体どんな作品になるのか。自分自身もまだわからないけれど、その未知の世界を楽しみながら進んでいこうと思う。

17 Nov 2024

でっかいトンカツとの戦い

今日はお腹が空いていたので、思い切って「でっかいトンカツ定食」を頼んでみた。運ばれてきた瞬間、そのボリュームに圧倒される。お皿いっぱいに広がる黄金色の衣と、その隣にはこんもりと盛られたキャベツ。これぞ食べ応え満点のビジュアル!


一口食べると、外はサクサク、中はジューシー。噛むたびに肉汁が溢れ出して、幸せな気持ちになる。キャベツもシャキシャキで、トンカツの脂っこさを程よくリセットしてくれる。食べ進めるたびに「これが大人の贅沢ってやつか」と思わず自分に酔ってしまった。


しかし、途中でふと我に帰る。胃のあたりが重くなり始め、少しずつ「苦しい」という感覚が押し寄せてくる。最初は夢中で食べていたのに、今では完全に「お腹との闘い」モード。トンカツとの幸せな時間が、いつの間にか修行のような時間に変わっていた。


結局、何とか完食したけど、食べ終わった後は動けなくなるほどの満腹感。でも、不思議と後悔はない。たまにはこういう贅沢もいいよね、と自分に言い聞かせながら、お腹をさすって過ごした。


次回は、もう少しサイズを控えめにしよう…そう思いつつも、また挑戦してしまいそうな自分がいる。

17 Nov 2024

否定してきたSNS、そしてBlueskyへの挑戦

これまでずっとSNSに対して否定的な考えを持っていた。タイムラインに流れる膨大な情報や、他人との比較、時には生まれるストレス…正直、自分には向いていないと思って避けてきた。


でも、最近ふと疑問に思った。「本当にSNSってダメなのかな?」って。確かにデメリットはあるけど、そもそも使い方次第で変わる部分もあるのでは?そんな思いがふと芽生えたのだ。


そこで、新しいSNSであるBlueskyに登録してみることにした。名前は聞いたことがあったけど、実際にどういうものかは知らなかった。何事も試してみないとわからないし、「自分の感覚で良いところとダメなところを研究してみたい」と思ったのがきっかけだ。


早速使ってみた感想は、まだ手探り状態だけど、これまでのSNSとは少し雰囲気が違う。タイムラインの流れやユーザー同士の距離感が独特で、新鮮さを感じる部分もある。ただ、やはりSNS特有の「何かを追いかけているような感覚」にはまだ慣れない。


どこが自分にとって合うのか、逆に何が負担になるのか、Blueskyを通して色々と掘り下げてみたい。SNSが持つ良さと課題を、自分なりに整理することで、今後の付き合い方を考えていければいいなと思っている。

17 Nov 2024

おにぎりの予定が、チキンに変更

今日はコンビニでおにぎりを買って帰った。お昼ごはんにしようと思っていたのに、家に着く直前、急に気分が変わった。「なんか、今日はおにぎりじゃなくて、チキンが食べたい…!」


気分の変化って不思議なもので、それまでおにぎりを食べる気満々だったのに、チキンのことが頭から離れなくなってしまった。冷蔵庫にたまたまチキンがあったのが運命だったのか、早速レンジで温めて食べることに。


結果、大正解!ジューシーでスパイシーなチキンが、思った以上に美味しくて、心もお腹も大満足。おにぎりを買った自分を一瞬無駄に思いそうになったけど、「おにぎりは夕食にすればいいじゃん」と気持ちを切り替え。柔軟な発想、大事です。


こういう「予定変更」は日常の中でよくあるけれど、むしろその気まぐれが楽しい時もある。お昼にチキンを選んだおかげで、おにぎりを夕食でゆっくり楽しむことができるのもまた良い感じ。結果オーライの一日だった。


17 Nov 2024

否定は簡単、肯定は時間がかかる

否定するのは、驚くほど簡単だ。何かを目の前にしたとき、「それは違う」「良くない」と言うのに、深く考える必要はあまりない。でも、肯定するとなると話は別だ。それには時間と労力が必要になる。


なぜ肯定が難しいのか。それは、何が良くて何が悪いのか、すべてが曖昧で、はっきりしないからだと思う。誰かが良いと言うものでも、自分にとってはそうではないかもしれないし、逆もまた然り。私たちの価値観は常に変化し続けていて、その時々で正解が変わることもある。


だからこそ、定期的に自分の価値観を見直すことが必要だと思う。これまで「悪い」と思っていたことが、実は大切なことだったと気づく瞬間もあるし、逆に、ずっと「良い」と信じていたものが、もう自分には合わなくなっていることに気づくこともある。


肯定には、時間だけでなく、柔軟性と勇気も必要だ。他人の意見を聞いて考え、自分の中で噛み砕いて受け入れる。そのプロセスは簡単ではないけれど、だからこそ、自分自身を深く知ることにつながるのだと思う。


否定は一瞬、肯定は一生。そう言っても過言ではないかもしれない。自分自身の価値観を定期的にアップデートしながら、柔軟に物事を受け入れていきたい。曖昧さの中で揺れ動く自分を楽しみながら、少しずつ肯定の幅を広げていけたら、それが一番の成長なのかもしれない。


17 Nov 2024

頑張る人が報われる社会であってほしい

最近、あるニュースを見て、ふと思ったことがある。「頑張っている人がもっと報われる社会になってほしいな」と。なぜか今の社会では、一度の失敗で全てが終わりのように扱われる場面が多すぎる気がする。


失敗って、誰にでもあるものだと思う。むしろ、失敗しない人なんていないはずだ。失敗した人を非難するのではなく、その人がどれだけ頑張ったか、その背景にある努力や思いに目を向けてほしいと思う。頑張った結果として失敗したのなら、それを糧にしてもう一度立ち上がるチャンスが与えられるべきじゃないだろうか。


ニュースを見ていて感じたのは、成功した人だけが注目されて、失敗した人は切り捨てられる風潮があること。だけど、成功の影には必ずたくさんの失敗があるはずで、その過程がなければ今の成功は成り立たない。それなのに失敗だけを切り取って批判するのは、何か違う気がする。


失敗したからといって、それで終わりにする必要はない。むしろ、失敗から学び、成長していくのが人間の強さだと思う。だからこそ、失敗を恐れず、挑戦し続ける人が評価される社会であってほしい。


完璧な人間なんていない。それぞれが不完全であることを認め合いながら、頑張っている人たちが報われるような世の中になってほしいと願う。失敗は終わりではなく、新しいスタート地点だと、多くの人が気づけるようになればいいなと思う。


16 Nov 2024

自分だけの快楽を探して

快楽って、きっと人それぞれ違う。ある人にとっては美味しい料理を食べること、また別の人にとっては自然の中でリラックスすることかもしれない。けれど、それらは他人が「良い」と思うもの。僕が求めているのは、もっと個人的な、自分だけの快楽だ。


最近、そんな「自分だけの快楽」を知りたくて、色々と試している。新しい趣味を始めてみたり、普段しないようなことに挑戦してみたり。正直、失敗も多いけど、その過程自体が少し楽しい。試して初めて「これは違う」「これならイケるかも」とわかるから、結局やってみる価値はある。


ただ、快楽って言葉の響きにはどこか特別な重みがある気がする。気軽に「楽しい」や「嬉しい」とは少し違って、「深く染み込むような満足感」を含んでいるように思う。だからこそ、自分にとっての快楽を見つけるには時間がかかるのだろう。


世間が勧める楽しみ方や快楽も試してみたけど、しっくりこないことが多かった。誰かにとっての喜びが自分の喜びになるとは限らない。それに気づいてからは、もっと自分自身に素直に、自由に追求していこうと思えるようになった。


まだ「これだ!」という答えにはたどり着いていないけど、この探求そのものが楽しいのかもしれない。自分だけの快楽が見つかったら、それはきっとかけがえのないものになるだろう。

16 Nov 2024

複雑な管理はもう嫌!シンプルを目指して

私は複雑な管理が本当に苦手だ。あれこれ細かいタスクや仕組みが絡むと、それだけで気持ちが疲れてしまう。煩わしいのは嫌だから、どうにかして管理を一本化できないかと、ずっと試行錯誤を続けていた。


たとえば、家計管理。以前は家計簿アプリと手書きメモを併用していたけど、情報が分散して結局どちらも中途半端になる始末。そこで、アプリに絞って自分に合うものを徹底的に探した結果、今ではスマホ一つで完結。データも自動で集計してくれるから、手間が激減した。


タスク管理も同じだ。昔は紙の手帳やノートに書き込んでいたけど、書き忘れや記入ミスで混乱することが多かった。今ではデジタルツールを使ってスケジュールとタスクを一元化。通知機能のおかげで忘れる心配もないし、余計なストレスも減った。


いろいろ試した結果、管理が楽になると心にも余裕が生まれることを実感した。シンプルな仕組みは、「管理する」こと自体を忘れさせてくれる。あれこれ悩んでいた時間が削減され、その分他のことに集中できるようになったのは大きな成果だ。


やっぱり、シンプルが一番。これからも試行錯誤を続けて、自分にとって心地いい「一本化の形」を追求していきたいと思う。

16 Nov 2024

久々の朝マック、そして訪れた虚しさ

今日は久しぶりに朝マックをしてみた。朝から外に出るなんて滅多にないことだから、ちょっとした冒険気分で近所のマクドナルドへ向かった。定番のソーセージエッグマフィンセットを頼んで、熱々のコーヒーと一緒にいただく。サクッとしたマフィンにジューシーなパティ、どこか懐かしい味わいが口いっぱいに広がる。


けれど、食べ終わった直後、急に虚しさが込み上げてきた。美味しかったはずなのに、なぜか心がぽっかりと空いている感覚。朝から一人でマクドナルドにいる自分を客観的に見てしまったのか、それとも期待以上の満足感を求めてしまったのか。


「これはただのファストフードだよね?」と、心のどこかで自問する。もちろん美味しいし、悪くはない。でも、その瞬間に気づいてしまったのは、食べ物だけでは満たせない何かがあるということ。


朝マックは手軽で便利だけど、そこに「心の栄養」はあまりなかったのかもしれない。次回は、ちょっと特別な朝を楽しむ工夫をしてみようかなと思う。自分のために時間をかけた朝ごはん、そんな日があってもいいかもしれない。


16 Nov 2024

枠を壊したその先で

枠をぶっ壊すって、実際どういうことなんだろう?「これじゃダメ」「ああするべき」といった制約を全部取っ払ったら、何でも言えて何でもできる、そんな自由が待っている気がする。けど、実際にはそんな単純な話じゃない。


「何でも言える」というのは、責任や配慮を捨てて好き勝手やることじゃない。でも、少なくともここでは、肩肘張らずに、自分の思うままを書きたい。フリーで行くっていうのは、そういうスタンスの話。言葉を選ぶ自由、自分の気持ちを形にする自由、それを持ちながら進む場所にしたいってことだ。


外の世界では、いろんなルールや常識がある。それはそれで大事なことだけど、ここでは「こうじゃなきゃいけない」なんてことは置いておきたい。むしろ、感じたことをそのまま言葉にすること、時にはちょっと毒を混ぜたブラックユーモアで笑い飛ばすこと。それが今の自分には心地いい。


枠を壊した場所で何が生まれるのか、それはまだわからない。でも、ここがそんな自由な場になればいいなと思っている。少なくとも、自分にとってはそうでありたい。

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星咲紗和(ほしさき さわ)
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